顎関節症虫歯痛い膿腫れ
脊柱側湾症歯科医師不信名医
by Norman Yamazaki, DDS. (Profile)
Sammary: 物心ついた時からいままで、20年近くの間、自分の歯がなくなる恐怖に怯え、普通の生活を送れないことに絶望しながら生きてきました。
こんなに歯のことで思い悩むのであれば、死んでしまったほうがましだと思ったことは、一度や二度ではありません。
と治療希望メールに書いたSandra 竜泉寺の記録。
November 13, 2002
Sandra 竜泉寺 登場
今日の一番はSandra 竜泉寺でした。
初診です。
まずは自己紹介です。
*****
吉沢カオリ 様
初めまして。
東京に住んでおります、Sandra 竜泉寺と申します。
G.V. BLACK DENTAL OFFICEでの治療を希望しております。
以下に質問項目への返答を記しました。
これまでの治療に関する記述は、小さい頃のことなどもあり、多少誤りや前後している部分があるかもしれません。
治療には直接関係のない事も書いてあり、とても長くなってしまうと思いますが、お目通しいただければと思います。
お忙しいところ恐縮ですが、よろしくお願いいたします。
01 氏名
Sandra 竜泉寺
03 年齢
20代前半
04 職業
会社員
06 主訴
ほとんどの永久歯を治療していますが、インレーが取れたり、残ったほうの歯が砕けてしまい、現在では普通に食事を摂ることもままなりません。
ここ1ヶ月、消化不良を起こしているようで、体重も減少しています。
毎朝、起きると口の中は黄色い膿が溜まっています。
歯の問題から顎関節症になり手足のしびれやめまいも2年近く続いており、少し疲れると起きあがれないぐらい消耗してしまいます。
そのため、仕事にもかなり支障をきたしています。
また、体調の悩みなどで、メンタルクリニックを訪れ、抗鬱剤などを投薬されましたが、根本的な解決にはならないと思い、一度服用して以来飲んでいません。
07 今まで受けた治療について
家は自営業で、両親は平均3・4時間程度の睡眠で働くような忙しさでした。
物心ついたころから、仕事の合間に飴やアイスクリーム、炭酸飲料などあらゆる菓子類を漫然と買い与えられていました。
正しい歯の磨き方を教えられたこともありません。
私は、どうして毎日歯を磨くのか、その理由さえも知らなかったのです。
デンタルIQが測定不能なぐらい低い親子でした。
私の歯医者通いは、乳歯が生えてからずっと続いていました。
両親は、虫歯を予防することは考えず、虫歯ができたらとにかく歯医者に見せればいい、と思っていたようです。
近所の、高齢の歯科医が一人でやっていた「I歯科」に連れていかれ、しばらく通っていたのですが、4歳頃、ドリルで顔を削られました。
血がたくさん出ました。
ここは暗くて黴くさく、古めかしい機材が並んだお化け屋敷のような歯科医院で、ものすごく恐ろしかった記憶があります。
その後、すぐ近くの「M本歯科」に通うようになりました。
このころから、上あごの歯茎に5ミリはある白い膿袋がしょっちゅうできるようになり(おそらくお化け屋敷で治療された歯の側にできたものだと思います)、別の医院の、手袋すらしていない中年の歯科医に指で膿袋をつぶされました。
これが拷問ではなくて一体何なのでしょう。
また、奥歯に銀を詰めた時、しばらくして深夜に高熱と激しい歯痛に襲われました。
詰めたものをはずしたところ、中に空洞があってそこにガスが溜まり、熱が出たと、その歯科医は悪びれもせず言っていました。
両親も、
「この子は歯が弱いから仕方がない」
と考えていたようで、その後もその医院に連れていかれました。
後年生まれた私の弟も同じ歯科医院に通い、ここでの治療が原因で同じような高熱に見舞われました。
それから小学校に入学して、永久歯に生え替わってからも、生えるそばから次々と虫歯になっていきました。
今思えば、自分から虫歯を予防するには、きちんと治療してもらうにはどうすればいいのか、自分で調べて気をつければよかったと、いくら悔やんでも悔やみきれません。
せめて、親に自分がどういう治療をされているのか、きちんと話せればよかったと。
ですが、歯科医院というところは、治療してもまったく治らない上、ひどく痛い、苦しい思いをする所という認識があったので、自分からすすんで歯医者に行く気にはなれませんでした。
小学生の頃は、父親が通っていた「A山歯科医院」に連れていかれ、治療を受けました。
この歯科医は治療中であろうと、釣り仲間から電話がかかってくると、患者に口を開けさせたままほったらかしにして30分でもしゃべり続けるような医者だということを後から聞きました。
ひとまず治療が終わっても、しばらくすると別の虫歯ができ、親は気付くと
「さっさと歯医者へ行け!」
と怒ります。
かつて通っていた歯科医院の前を、やりきれない気持ちで何度も通り過ぎました。
どうしても同じ医院には行けず、少し離れた真新しい歯科医院を、やっとの思いで訪ねました。
ここでは、左上の歯を一本だけ治療しました。
一本治療するのに3時間ほど治療台に寝かされ、その間4回ほど部分レントゲンを撮られ、その都度歯を削られました。
それほど大きな虫歯ではなかったのに、3時間後、私の歯は根を残してすべて削られてしまいました。
そこで作った補綴物は1ヶ月も経たないうちに取れ、同じころ歯科医院は更地になっていました。
これがおそらく11歳頃の出来事で、それからかなり長い間、歯医者に行くことができませんでした。
その間、顔が腫れ上がって夜も眠れないほどの歯痛を何度も経験し、補綴物が取れた歯はそのまま、前歯にもいくつも黒い空洞ができていましたが、自分がどんなに醜くなっても、自分が自分ではなくなってしまっても、歯科医院に行けませんでした。
11歳頃から顎がバキバキ鳴るようになり、脊柱側湾症になりました。腰の骨がずれて、起きあがれなくなることもたびたびありました。
歯痛のせいで鎮痛剤を常用するようになり、中学三年生のとき胃を痛めました。
胃の検査をした医師に
「これは中学生の胃ではない!」
と言われました。
小学生の頃は、物怖じしない性格でしたが、虫歯がひどくなり、再発を繰り返すにつれ、笑うことも、皆の前で喋ることもなくなり、内向的で卑屈、攻撃的な性格になっていきました。
そんな自分が嫌で嫌でたまりませんでしたが、どうしようもありませんでした。
その間、
「そんなに虫歯ができるのは本人に問題がある」
「歯医者にも行けないなんてなんて不潔な人間だろう」
と周りの人から言われ、人格を疑われました。
ですが、私が物心ついた頃から感じてきた葛藤を、親にも、友達にも話すことはできませんでした。
一方で、人が言うように、私の性格にも問題があるのだ、と思っていました。
中学生の頃、代替わりした「A山歯科医院」に行ったような記憶がありますが、この時も治療に不信感を憶え、途中で治療を辞めてしまいました。
16歳のころ、今と同じように虫歯が進行したせいで食べ物が噛めなくなり、意を決して少し離れた「S川歯科」に行きました。
そこでざっと歯の状態を調べた医師は、
「虫歯が23本、異常だよ、これは」
と言いました。
異常!!
確かにその通りですが、やはり医師に言われるとショックでした。
「でも歯磨きが嫌いなわけじゃないでしょ、じゃあ大丈夫だよ」
と言われ、虫歯の治療を始めました。
ほとんどの歯を治療しましたが、治療が異様に早く、クラウンも何となくおおざっぱな作りに思えました。
左前歯を削って白い樹脂を入れた際、樹脂と歯の間に1ミリぐらいの段差ができていました。
これではまた虫歯になってしまうと思い
「歯と樹脂の間に段差ができていますけどこれでいいんですか」
と言ったところ、
「それは歯がそういう形だから仕方がないんだ」
と言われました。
削った部分を元通りに復元していないだけなのに。
この医者は、ぼろぼろになった私の歯なんて、適当に治せばいいと思っているに違いない、そう思い、下前歯の治療がまだでしたが、私はその歯医者にも通わなくなりました。
その頃からデンタルフロスを食後に使うようになりましたが、どの歯でも必ずひっかかるので、またここから虫歯になってしまうのだと思い絶望的な気持ちになりました。
この後、やむにやまれず、名前だけが残り別の歯科医が経営する「I間歯科」にも行きましたが、虫歯の治療をせず、歯茎の消毒をし続け(消毒した後、歯茎と思しき組織がはがれ落ちてきました)一ヶ月ぐらい経ってようやく「今日こそは削るぞ」と言って麻酔を打たれ、歯を削られました。
この後、ふたたびA山歯科医院を訪れたような気もしますが、あまりにあちこちの歯科医院を転々としていたため、正確な前後関係がはっきりと思い出せません。
17歳ごろから20歳ごろまでの間、また歯の治療をしない日々が続きました。
私はその前から、いくら削って詰め物をしても、詰め物と歯の間から唾液が入り、そこからまた虫歯になってしまうのだろう、ということは分かっていました。
クラウンと歯の間に、舌で触ってわかる段差があるのですから。
歯科治療の知識もない子供でしたが、この治療ではまた虫歯になってしまう、ということは漠然と感じていました。
ですが、どこに行けば、二度と虫歯にならない治療を受けられるのか、まったく分かりません。
ひとまず食事はできるようになりましたが、いいかげんなクラウンの下で、自分の歯が確実に失われつつある絶望感が消えることはありません。
それは今でも続いています。
20歳になった頃、治療した前歯がふたたび虫歯になったので、「A山歯科医院」を訪れました。
ここで、
「樹脂をまた入れるとツギハギみたいになって醜いよ」
「差し歯は継ぎ目がないけど、歯茎が後退して隙間ができるのは仕方がない」
と言われ、どちらを選ぶか決断を迫られました。
どちらも嫌でした。
それでも、いずれ中の歯が虫歯になることは分かっていたのですが、前歯4本と左右の犬歯を差し歯にしました。
いまでも、差し歯にしたことを後悔しています。
この1年ほど前から、食事を摂ると全身にじんましんが出て、下腹部(腸の蠕動運動が亢進するのだと思います)の激痛に襲われるようになりました。
食物アレルギーではなく、何を食べてもそうなってしまうのです。
ひとたび痛みが始まると、脂汗を流しながら地面を転がりまわるほど苦しく、おう吐、下痢も起こるようになりました。
デートの最中や友達と外食している時にも起こり、何度も救急車で病院に運ばれました。
あらゆる病院で、さまざまな検査・治療を受けましたが、
原因は不明!
そこで仕事も辞め、毎日ゼリー飲料と白粥しか食べられない日々が続きました。
ほどなく、家族のために働き続けた父が末期癌に冒されていることが分かりました。
父に告知はしませんでしたが、おそらく自分では分かっていたはずです。
それでも、また働けるようにと、必死で闘病し、前向きに治療に専念していました。
ですが、再入院が決まった日、父は私を呼びよせ、
「どんなことでもいい、自分が好きなことを一生懸命勉強して、生きていってくれ」
と泣きながら言いました。
「お父さんも、病気がよくなるように、もう一度頑張るから」
と。
それから亡くなるまでの一ヶ月、父はただの一度も弱音を吐かず、家族に迷惑をかけまいと、最期の瞬間まで、必死で闘っていました。
父を看取ってからも、私の原因不明のアレルギーは治らず、ひどくなるばかりでした。
体重も40キロ近くまで落ち、もう死ぬしかないと思い詰めていた時に、ある人と知り合い、その人のおかげで、2年かかって、ようやく元通りに食事が摂れるようになりました。
この人との出会いによって、自分を過小評価して責め立てる傾向はかなり軽減されました。
自分の考えや信念に、自信を持つこともできました。
あれほどまでに悲鳴を上げていた私のこころを救ってくれた大きな愛でさえも、私の歯に対する絶望を消すことはできませんでした。
22歳の頃、左の奥歯が痛みだしました。
そこでふたたびA山歯科医院に行ったところ、
「昔治療した時に歯の根っこに膿袋ができている。昔からあったが、特に問題はないので放っておいた。これは抜歯しないと治らないが、もしかしたら親不知が原因かもしれない」
と言われ、そこでは親不知を抜歯できないということで東京医科歯科大学歯学部を紹介されました。
そこで右下と左下の親不知を抜歯したのですが、その時
「手前の奥歯、機能してないから一緒に抜いちゃいましょうよ、一度で済むから楽でしょう」
と言われました。
手前の歯というのは膿袋があると言われた歯です。
自分でも、このまま日本のイケナイ歯医者さんに通い続けるならば、もう余命幾ばくもないことぐらい理解していましたが、どんなにボロボロであっても、
いつか名医と呼ばれる人に見てもらえるチャンスが来て、治る可能性が1%でもあれば、どうしても抜きたくなかった
ので断りました。
その歯科医は親不知をドリルで割る際、その歯のクラウンを削りました。
手元が狂ったようですが、どうだっていい歯だから少し削ったって構わない、と思っていたのでしょう。
この時削られた歯は、日に日に陥没しているようです。
膿袋もできていて、体調を崩すとかなり痛みます。
親不知を抜歯してから、半年ぐらいの間に、16歳のころに治療した歯のインレーが3つ取れました。
取れた後を見ると、やはりひどい虫歯になっていました。
隣り合った歯は溶けてなくなっていました。
左では噛めないので、右ばかりで噛んでいたある日、右上奥の歯が「がりがり」と言いました。
ぽっかりと孔があき、何かの拍子で食べたものが挟まると激痛が走ります。
今では食事をするのが苦痛で、うまく食べることができません。
食事の摂取量も減っていますし、このままではただ衰弱していくのを待つしかありません。
物心ついた時からいままで、20年近くの間、自分の歯がなくなる恐怖に怯え、普通の生活を送れないことに絶望しながら生きてきました。
こんなに歯のことで思い悩むのであれば、死んでしまったほうがましだと思ったことは、一度や二度ではありません。
08 現在の健康状態について
仕事や精神的な葛藤などで少しでも疲れると、すぐにひどいめまい、手足のしびれが出ます。
顎関節症によるものだと思います。
扁桃腺が腫れ、37度より少し上ぐらいの微熱が続き、集中力、注意力が著しく低下し、仕事や日常生活に支障をきたしています。
歯を磨いても、歯の間から不快な液が滲みだし、口中に膿が流れ出るようです。
そのせいで喉もつねに痰がからんでいるようです。
小学生の頃から、ひどい肩こりと腰痛、股関節の痛みに悩まされましたが、一年前にカイロプラクティックに通い初めてから、多少改善されました。
ですが今でも気を抜くとすぐに骨格が狂ってしまいます。
09 常用している薬はありますか?
4ヶ月前、精神的にとても落ち込んでしまい、生命の危機を感じたので、2週間だけパキシル(抗鬱剤)とセディール(抗不安剤)を服用しましたが、それ以来一切服用していません。
10 今までに入院するような病気、ケガをしたことあありますか?
ありません。
11 あなたは喫煙者ですか?
いいえ。
12 GVBDO HPはいつ頃から閲覧をはじめましたか?
昨年の12月頃からです。
はじめて読んだとき、自分が夢だと思っていたような、治療と呼べる治療が行われていることが信じられませんでした。
でも、「心から求めるものには、扉は開かれる」ことを信じて、時が来るのを待ちました。
13 書籍「ほんとうの治療」はいつ購入しましたか?
今年の5月です。
14 書籍「ほんとうの治療」を読んでどのように感じましたか?
尾崎豊さんの「あきらめてしまわないでね 信実はやがて訪れる 信じてごらん 笑顔からすべてが はじまるから」という一節に、涙が止まりませんでした。
私はただ、自分のあるべき姿に戻りたいだけなのです。
いつか心から、歯を見せて笑える日が来るなら、ほんとうに自分らしい人生を送ることができるなら、どんな困難でも乗り越えられます。
なぜなら、私は私らしく、誰かの役に立つために、この世に生まれてきているはずだから。
読むうちに、自分が小さいころから経験してきた歯科治療を通して、漠然と持っていた不安や疑問が間違ったものではなかったと確信しました。
私が治療を受けたいのは、山崎先生のような、確固たる信念を持ち、自分の良心に従って技術を磨き、人々を導く医師なのです。
私は、歯のことで思い煩う人生と訣別し、活き活きとした人生を送りたいのです。
脳が活動を停止しているような、心ない日本のイケナイ歯医者さんには何があっても、もう二度とかかりたくありません。
私は、自分の健康を自分で守れなかった愚か者ではありますが、決して生きるに値しない人間であるとは思っていません。
人生の大半をかなり悲惨な状態で過ごしてしまいましたが、それでもそういったつらい経験やすばらしい体験を通して、自分なりの価値観や信念を磨いてきたつもりです。
私は、この愚かな私のまま一生を終えたくありません。
父の想いを、裏切ったまま死にたくないのです。
やりたいことはいくつもあります。
その中に、ドラムを叩きたい、というものがあります。
小学生の頃から好きで、好きなドラマーの曲を聴いたり、基本的な練習法を調べたりしていましたが、歯がボロボロで、姿勢もめちゃくちゃでは、練習する意味がないと思い、未だ楽器に触っていません。
でも、私は、ドラムという楽器があったから、これまで生きてこれたようなものです。
この楽器を通じて、音楽のすばらしさ、生きていることの美しさを感じることができたのですから。
初めてのお便りなのに、とても長くなってしまい申し訳ありません。
これまで、誰にも言えなかったことを、こうして告白できた事に感謝しています。
もし私の願いが届くようでしたら、G.V. BLACK DENTAL OFFICEへ紹介していただけないでしょうか。
よろしくお願いいたします。
読んでいただいて、ほんとうにありがとうございました。
*****
Norman Yamazaki, DDS. says:
この後、Kaorinrinとのメールでのやり取りが続いたのですが、
最大の問題は治療費が用意できていない
ということでした。
G.V. BLACK DENTAL OFFICEで治療を希望する人の多くの人が対面する問題ですが、
まず最初にクリアしなければならない問題
でもあるのです。
結局、Sandra 竜泉寺は治療費が用意できたら再度、治療希望をするということになりました。
最初のメールから5ヶ月が過ぎて、今度はHarbyに次のようなメールが来ました。
*****
初めまして。
私、東京都在住のSandra 竜泉寺と申します。
今年の6月19日に、G.V. BLACK DENTAL OFFICEでの治療を希望する旨と、これまで私が受けた歯科治療の経緯と当時の健康状況について、吉澤カオリ様にご連絡したのち、治療費の工面に奔走しておりました。
その後、吉澤様から、治療費の目処が立ってから、再度連絡するようにとのお返事をいただいたのですが、吉澤様との最後の交信から、4ヶ月以上過ぎておりますで、Harby様にご連絡差し上げた次第でございます。
本日、治療費をお支払いする用意が調いました。
また、診察の後、さらに治療費が必要になった場合の目処も立っております。
治療と回復に専念するため、勤めていた会社も今月末日付けで退職いたしました。
6月にご連絡した段階で、すでに体調が非常に悪かったのですが、現在さらに困窮しているような状態でして、微熱が続き、時に高熱に転じるということを繰り返しており、些細な疲労でもひどいめまいや手足の痺れが起こり、扁桃腺が腫れて日常生活に支障をきたしているような状況です。
このような状況が長いあいだ続いておりますので、精神的にも体力的にも、かなり厳しい状態です。
健康な体を取り戻し、私が人として生まれてきた意義を全うするためにも、全力で治療に専念する覚悟はできております。
治療の過程でも、みなさまにご迷惑をおかけしないよう、努力いたします。
今後、治療に至るまでのご指示をいただければ幸いです。
お忙しいところ、恐縮ですが、何卒、よろしくお願いいたします。
*****
Norman Yamazaki, DDS. says:
Sandra 竜泉寺の歯科医療は荒廃しています。
さよなら、わたしの白い歯
さよなら、わたしの元気な歯
さよなら、わたしの青春
さよなら、わたしの元気
さよなら、わたしの笑顔
さよなら、わたしの幸せ・・・
全ての明るく輝くものに別れを告げたSandra 竜泉寺の悲劇は、日本のイケナイ歯医者さんによってもたらされたものでした。
上の歯です。
この写真の中には普通の人なら激痛が走って眠れなくなるような歯が3本写っています。
下の歯です。
この写真の中には普通の人なら激痛が走って立っていることさえできなくなるような歯が3本写っています。
普通の人が1本あるだけで憔悴して、寝たきりになってしまう歯が6本もあるSandra 竜泉寺の体は一体どうなっているのか心配になります。
右の上です。
#2の虫歯は神経を突き抜けて根の先にまで達しています。
#5は虫歯で歯が欠け、その上から歯茎が増殖しています。
普通の人なら我慢できないほどの痛みを感じる歯です。
パラのホケンのクラウンもNO GOODな治療で、クラウンの中は一体どうなっているのか、まるでパンドラの箱状態です。
左の上です。
アマルガムタトゥーという青黒い沈着が歯茎にある人は日本のイケナイ歯医者さんのNO GOODな治療を受けてきた人なのです。
左の下です。
フィスチュラのある#18はイカシカで抜くことを薦められた歯です。
しかし、G.V. BLACK DENTAL OFFICEでは修復可能な歯です。
イカシカの日本のイケナイ歯医者さんの薦めにNO!と言ったSandra 竜泉寺には、
その時だけ、神様が宿った
のかもしれません。
#19の神経は死んでいます。
でもこの歯も大丈夫です。
右の下です。
スライスカットでぶったぎられた#29は抜歯です。
それは虫歯だからダメなのではなく、矯正をするためには不要だからです。
正面です。
まるで死人の歯です。
アメリカの歯学部では5人に1体の割で実際の屍体を使って解剖を行いますが、屍体の歯はみなこのように精気を失っています。
最悪なのは日本のイケナイ歯医者さんの審美性ゼロのクラウンで、Sandra 竜泉寺の笑顔ばかりでなく、横顔も醜くしているのです。
こんな出っ張った歯で生きていけという日本のイケナイ歯医者さんの神経は完全にいかれています。
Sandra 竜泉寺はG.V. BLACK DENTAL OFFICEに来ました。
G.V. BLACK DENTAL OFFICEでは、日本のどこにもないほんとうの治療をしていて、どんな人でも歯の苦しみから救ってくれる所だという噂があります。
それは日本では治らないとされている顎関節症でも治療を受けたら治った!と証言する人が後を絶たないからです。
その噂がほんとうかどうかをSandra 竜泉寺は自分で確かめるチャンスに巡り会いました。
1億2000万人の日本人の中から、毎年20人だけが巡り会えるチャンスです。
Welcome to G.V. BLACK DENTAL OFFICE.
Norman Yamazaki, DDS.
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